1969-03-20 第61回国会 参議院 商工委員会 第6号
昭和三十五年の秋ごろは、世界的なゴム市況の悪化によりまして、輸入ゴムの価格が値下がりいたしまして、会社の運営も相当困難な状況に立ち至りまして、会社の同事業年度の収支は大幅に赤字となりました。その後の情勢は好転いたしまして、タイヤ業界をはじめとするゴム工業界の需要が順調に伸びて、会社の経理は次第に改善されまして、三十八年度上期には累績赤字を解消して、同年度の下期には一割配当を行なうに至りました。
昭和三十五年の秋ごろは、世界的なゴム市況の悪化によりまして、輸入ゴムの価格が値下がりいたしまして、会社の運営も相当困難な状況に立ち至りまして、会社の同事業年度の収支は大幅に赤字となりました。その後の情勢は好転いたしまして、タイヤ業界をはじめとするゴム工業界の需要が順調に伸びて、会社の経理は次第に改善されまして、三十八年度上期には累績赤字を解消して、同年度の下期には一割配当を行なうに至りました。
会社が生産を開始いたしました三十五年の秋ごろは、世界的なゴム市況の悪化によりまして輸入ゴムの価格が値下がりをいたしまして、会社の運営も相当困難な状況に立ち至ったのでございまして、会社の同事業年度の収支は約十一億円の赤字を計上いたしたわけでございます。
石油はどこに消えたか、子供たちのゴムぐつをつくる中小工場は、ゴム原料が入らなくて、どんどんつぶれて行く、輸入ゴムは何に使われたか、こういう問題のなぞは、すでに解けたのであります。外資で輸入された、ゴムは、戰車のタイヤとなつている。石油には羽がはえて、重爆撃機を朝鮮の野に飛ばすガソリンとなつている。